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(店主の昇太がインターネットでプログラムを公開して販売を始めたころの文章そのままです。性格丸出し!おしりの青い若気の至り♪…とはいえ、十数年前に書いたものなので恥ずかしいのですが、懐かしくもありここに掲示しました)元々のこのプログラム公開のホームページはこちらで、まだ健在です。 バックアップソフト [WASH] について あまりにもこのホームページが稚拙であることとか,名前も知らないシロートの個人が作ったものであることとか,たった 10KB ほどの小品の DOS ツールをシェアウエアにして「金を払え」とははなもちならぬヤツだ…との感情などから,頭っから「こんなツールは信用できない.アブナイ!」と決めてかかられるかもしれません. 私たち,昇太は39歳からオンボードマイコンや PC8001 という NEC の8ビット初期のマシンで CP/M という当時一世を風靡した OS を走らせながら, OS というもの自体とアセンブラーによるプログラミング技法を隅々まで独自に研究し会得しました. Miyoko はあまりにも夫がオタクをやっていることから最初はあきれていたのですが,自分でも少し興味を覚えたのかついには Zilog の命令コードでたいていのことはできるようになり,もちろん外に公表するようなことはありませんでしたが CP/M そのものを Zilog で互換コーディングして独自にこれを改良発展させて遊んでいました.今でも親戚の縫製会社のある機械の処理部分にこの OS と自作ソフトが現用で動作していますし,処理パターン変更などでサポートも続けています.実に10年以上になりますが,ちなみにこの CPU 本体は NEC の文豪ミニ5というワープロを Z80 に換装したりメモリーを増設,改造したものです. 昇太は元来無線関係の技術屋で,昔でいう1級無線通信士,1級無線技術士です.今ではトンツーの仕事もありませんし無線機を触ることさえもありませんが,そのような技術屋の習性からか,「とことん納得いくまで極めたい」というソフト開発への神経質なほどのこだわり,気概を持ち続けているつもりです. Miyoko もバグ退治には一役も二役も協力しています.あまりにも自作ソフトへの思いこみが強すぎて,できあがったものを何度も枕元へ持ち込み「どうしたらもっとプログラムを速く,サイズを小さくできるだろうか…」などと今では時代遅れとも思える作業を続けていました.(その割には,この間に娘5人をつくるというヒマもあったのですが… はぃ) 一時は( DOS2.11〜5.0 頃まで)あるマイコン専門誌にアセンブラー開発の技法を連載をするほど頑張っていたのですが,その後私たちの家庭も仕事もしばらく忙しくて, DOS のプログラミング開発から数年離れている間に GUI 全盛,今の Windows 時代になっていました. Windows は私たちにはよくわかりません.おそらく昇太の年齢からしてこの Windows の API を学習する能力と意欲は将来的にも生まれてこようもありませんが,数年ぶりに本業で触らなければならなくなったパソコンのシステムの不安定さに驚き,ムクムクと昔の制作欲が出て,急遽半月ほどで原型を作り上げたものです.五島福江島での単身赴任生活の寂しさをまぎらわすには「イカ釣り」とこのソフト開発は絶好の趣味と言えるものでした. |
1987年11月〜1989年4月に連載のPC WORLD誌(その後廃刊!) | 1987年11月号掲載「文豪へMS-DOS移植」の記事 | ||||||||||||